「血統SQUARE」は、『週刊競馬通信』第440号(1990年10月28日)から第756号(1997年1月7日)まで257回にわたって連載された血統コラムです。『週刊競馬通信』は、青木義明氏が1981年に創刊した日本唯一の血統専門誌で、1999年まで発行されました。文中の血統表は、『熱血解析2 for Windows 95』(Copyright:株式会社秀和システム、有限会社競馬通信社、矢野敏)により作成されたものです。なお、馬齢表記は現在のものに改めました。


『週刊競馬通信』第741号(1996年9月15日)から第747号(1996年10月27日)まで6回連載(「血統SQUARE」第241回〜第248回)。血統表を解釈するときに必要なのは過去の血の特徴を把握すること。なかでも距離適性は最も基本的なファクターなので重要です。この連載の肝はスタミナ・インデックスの「表」にあり、文章はその補足説明です。血統表を理解するための一助となれば幸いです。


『週刊競馬通信』第640号(1994年9月25日)から第646号(1994年11月7日)まで7回連載(「血統SQUARE」第141回〜第147回)。アメリカ土着のヒムヤー系の歴史をたどりながら、レキシントンからドミノ、そして現代へと至るアメリカ血統の基礎を解説したものです。最終章でホーリーブルとウォクォイトの共通性について解説しましたが、『Patterns of Greatness II』(1995)ではアラン・ポーターが同様の指摘をしています。初出を見ていただければ分かるように「血統SQUARE」のほうが早く、おそらく世界初の論考だったはずです。ホーリーブルはジャコモ(ケンタッキーダービー)やマッチョウノ(ブリーダーズCジュヴェナイル)の父となり、マッチョウノはマッチョアゲイン(スティーブンフォスターH)を出しているので、サイアー・ラインはまだ続きそうです。


『週刊競馬通信』第607号(1994年2月6日)から第614号(1994年3月27日)まで8回連載(「血統SQUARE」第108回〜第115回)。一言でいえば「配合を読めるようにするための方法」を解説したものです。「サイアー・ライン」「ファミリー」「配合」という3つの柱から成っています。連載当時にスペースの関係で挿入できなかったいくつかの表を入れ、省略せざるを得なかった文章を加筆しました。「サイアー・ライン」で Hail to Reason 系を扱っていないのは、サンデーサイレンスの子がデビューする前に書いた文章だからです。ブライアンズタイムの子は初年度産駒が3歳になったばかりでした。当時、ここまで系統が発展するとは夢にも思いませんでした。この系統の紹介は別の機会に譲りたいと思います。最後の「血統表作成ノススメ」の項は、いまの時代に合わない記述も多々ありますが、そのまま掲載することにしました。
わかりやすい初歩の血統


『週刊競馬通信』第583号(1993年8月5日)から第590号(1993年10月3日)まで8回連載(「血統SQUARE」第84回〜第91回)。文中に登場する Platini は1993年のジャパンCで4着、Lando は1995年のジャパンCを制覇しました。現在、ドイツ最高の種牡馬として国際的な名声を獲得している Monsun は、1993年のドイツ・ダービーで Lando の2着。父 Konigsstuhl(Blandford 系)、母の父 Surumu という血統です。


『週刊競馬通信』第504号(1992年2月2日)から第517号(1992年5月3日)まで11回連載(「血統SQUARE」第7回〜第18回)。競走馬がまだ「サラブレッド」という名を与えられていなかった18世紀から説き起こし、イギリスのクラシック体系が完成した19世紀初頭までの血統状況を考察したものです。馬齢表記は当時採られていた数え年です(現在の年齢+1)。
黎明期の血統
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11