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2003年にアメリカで発表されベストセラーとなった『マネー・ボール』(マイケル・ルイス著)という傑作ノンフィクションがある。「奇跡のチームをつくった男」という副題が物語るように大リーグのある球団を題材としている。
総年俸がニューヨーク・ヤンキースの3分の1ほどのオークランド・アスレチックスは、2000年から4年連続でアメリカンリーグ西地区のチャンピオンとなった。金欠の弱小チームがなぜこれほどの躍進を遂げたのか。その秘密は、ゼネラルマネージャーのビリー・ビーンが依拠した革命的な野球理論にあった。
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たとえば打者であれば、ホームラン、打率、打点といった伝統的な評価基準がある。ビーンは、これらを勝利に直接結びつかない古い指標であるとし、何よりも出塁率を重視した。四球選びのうまいバッターを評価するという視点は斬新だった。投手であれば、与四球、奪三振、被本塁打だけを評価の対象とし、被安打、失点は一切無視した。
膨大なデータを基に、統計学的見地から新たな価値観を見出し、それを選手評価の基準に据える。ビーンは、この方針を徹底的に推し進めた。従来の価値観では見るべきところのない選手でも、新たな価値観では高く評価されることがある。そうした選手をめざとく発掘し、安価で獲得するのがビーンお得意の手法だった。これがオークランド・アスレチックス躍進の秘密である。
最小限の資金で最大限の効果を生むには“頭脳”を武器とするしかない。オークランド・アスレチックスは、選手の平均年俸が大リーグ球団のなかで最低。ニューヨーク・ヤンキースの3分の1しかない。にもかわらず奇跡の躍進を遂げたのは、お金に頼るのではなく頭脳に比重を置く戦略に舵を切ったからだ。
繁殖牝馬の種牡馬選びも、じつはこれとよく似ている。ホームランバッターばかりトレードで獲得したところで最強の野球チームができるわけではないように、種付料の高い種牡馬を交配したからといって、自動的に名馬が生まれるわけではない。育種とはそれほど単純なものではない。サラブレッドにかぎらず犬や鳩であっても、優れた個体を生み出す試みには、つねに血統表をベースとする配合テクニックが介在する。種牡馬には「成功する配合パターン」と「失敗する配合パターン」がある。双方の競走馬を比較分析すると、生涯獲得賞金において天と地ほどの差が生じているのがわかる。
サラブレッド生産の歴史を振り返ると、名ブリーダーの背後に、優れた配合アドバイザーが存在していた例は数多い。たとえばイギリスでは、ダービー卿の懐刀ウォルター・オルストンがいた。アメリカでは、エドワード・ブラッドリー大佐とジョン・ガルブレイスに仕えたオリン・ジェントリーがいた。黒子としてブリーダーの頭脳を司り、歴史的名馬の配合を手がけたのは彼らである。サラブレッドの器を決定するのは配合。そのデザインこそサラブレッド生産にとって最も重要なファクターのひとつである。
価格はそれほど高くないけれど、その繁殖牝馬に最適と思われる種牡馬を交配すれば、種付料の大幅な節約となる。高額な代金を支払ってわざわざ「失敗する配合パターン」を選択する愚を犯さずに済む。サラブレッド生産において、オークランド・アスレチックスのような奇跡を可能にする唯一の方策、それが配合診断である。
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