1875年生まれの Himyar は、第4回ケンタッキー・ダービーに出走し、1番人気に推されながら2着に敗れた。スタート直後は9頭立ての6番手。徐々に追い上げたものの、逃げるデイスター Day Star を1馬身とらえきれなかった。種牡馬としては成功し、Domino の活躍によって1893年にリーディング・サイアーに輝いている。
 Domino は、19世紀のアメリカ競馬が生んだ最高の快速馬だった。距離的な限界があり、そうした意味で決して万能タイプではなかったが、マイル以下の短い距離では圧倒的な強さを発揮した。9戦全勝の成績で樹立した2歳獲得賞金レコードは、その後40年近くも破られなかった。

Domino

 配合には際立った特徴がある。血統表を見ていただければ一目瞭然だが、アメリカで独自の進化をとげた Boston−Lexington の影響を強く受けている。また、2代母リジージー Lizzie G. の血統も、血脈の凝縮という点でかなり異様である。ウォーダンス War Dance帥泣Rント Lecompte 1×2、リール Reel帥Wュディス Judith 2×3・3。Reel は19世紀前半におけるアメリカ最強牝馬の1頭である。

 アメリカで計16回リーディング・サイアーの座についた Lexington は、その父 Boston ともども、血統中に謎の部分を多く含んでいる。単なる記録上の不備ではなく、当時の馬産の状況からみて、サラブレッド以外の血が混じっていた可能性も否定できない。地理的にも血統の正統性においても、本場イギリスから遠く外れたところにこれほどの種牡馬が現れたことは、世界的な事件というべきものだった。

 Lexington の新鮮な活力は、当然の帰結として、旧来のイギリス血統に多大なインパクトを与えていく。そのキャンペーンの強力な推進者となったのが Domino である。
 種牡馬としての Domino は驚異的だった。わずか6歳で早世したため、登録された産駒は19頭にすぎないが、そのなかからキャップアンドベルズ Cap and Bells(エプソム・オークス)、コマンド Commando(ベルモントS)をはじめ8頭のステークス勝ち馬を送りだしたのである。この確率は尋常ではない。
 牡馬の代表産駒 Commando は、ベルモントSを含め9戦7勝(2着2回)の成績を残した。Domino のエッセンスをさらに煮詰めた形で、5代以内に Lexington を5本も受け継いでいる。

 父同様、種牡馬としての能力は並ではなかった。15戦全勝の名馬コリン Colin、ベルモントSのピーターパン Peter Pan をはじめ10頭のステークス勝ち馬を送り出し、1907年にはリーディング・サイアーに輝いている。登録された Commando 産駒はたった25頭しかいない。父同様、7歳という若さでこの世を去ってしまったからである。
 Domino−Commando 親子の異常な活力は、その不可解な夭逝と相まって、神秘的な印象を抱かせる。謎を解く鍵が Lexington にあることは明らかである。2頭はともにケンタッキーのカースルトン・スタッドで供用されたが、この牧場の方針は、イギリス産の輸入繁殖牝馬にアメリカ産種牡馬を交配するというものだった。Domino と Commando の産駒は合計44頭。このうち、母が輸入牝馬だったものは実に30頭にものぼる。この牧場のオーナーであるジェームズ・R・キーンという人物は、もっともアメリカ的な Lexington の血が、イギリス産の繁殖牝馬に強力なインパクトを与えることを、おそらく見抜いていたのではないか。これはインターナショナル・アウトクロス(国際的な異系交配)の先駆的な成功例である。

Commando

 若くして死んだ Domino と Commando は、その配合的特徴からして、Lexington の正統な嫡子というべき種牡馬だった。もし長生きし、それぞれ数百頭の産駒を得ていたとしら、血統の潮流は、現在とはまったく違ったものになっていたに違いない。じっさい、彼らのたった数十頭の遺児たちが、父や母として後のサラブレッドに消しがたい影響を及ぼしたのだから、この想像は的はずれではないだろう。Domino−Commando の影響力の凄まじさは、北米から世界へ飛躍した血脈──ネイティヴダンサー Native Dancer、レイズアネイティヴ Raisea Native、ニジンスキー Nijinsky、ダマスカス Damascus、レッドゴッド Red God、バックパサー Buckpasser など──が、いずれもその強い影響下に成立した事実をみても明らかである。
 現在、Domino のサイアー・ラインは絶滅の危機に瀕している。しかし、だからといって、Domino の偉大さは少しも損なわれるものではない。ある種牡馬がサラブレッドの進化にどれだけ貢献したかということは、サイアー・ラインをいかに伸ばしたかではなく、後世に与えた影響の多寡で計られるべきである。優れた特長を伝える偉大な種牡馬が“種牡馬の父”としては案外だった……というケースは珍しくなく、逆に、無能な種牡馬がたった1頭の活躍馬のおかげで後世にラインをつなげることもある。その伸長には、さまざまな面で「運」という要素が絡んでくるのである。
 実際のところ、Domino が生まれて100年以上が経過した現在、Domino 系の競走馬が“Domino 固有のなんらかの特長”を特権的に受け継いでいるとは考えられない。競走馬にかぎらず普通の生物は、父母双方の性質を受け継いで誕生し、代を経るごとに先祖の影響は薄まっていく。Domino から11代目の直系子孫ティーノソ Teenoso(1980年生)は、エプソム・ダービー(英G1・芝12f)やキング・ジョージ6世&クイーン・エリザベスS(英G1・芝12f)を勝っているが、Domino らしさなど微塵も見られないステイヤーだった。